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挑戦してみます笑

makotako.exblog.jp

やっと染みるとき



チェンマイの瞑想寺でインサイトメディテーションの修行してから、実は逆に瞑想がよくわかんなくなった。
もう3ヶ月も前だがこんな文章を見つけて、ほほぉーとちょっとしっくりした。

.......引用.. (若干ヨギ向けに語尾を変えています) ...............

・・・事象はすべて心の一番表面層で起こっていることで、この表面層を心理学的には「実在意識」などどよんでいる。この実在意識の層でつまらない雑念や妄想を繰り返していると心の量は著しく消費される。心の消費量が増えるということは、人に元から備わっている心の容量が少なくなるということでもある。そして心の容量が少なくなればなるほど人はちょっとのことで   ・・・・(中略)・・・・・・・  心は、消費されていない状態であれば、良心に満ちている。本当はこんな自分ではないのにと思いながらも、ついつい心ない言動をするのは本来自分に備わっている心の質量が極めて少なくなっている時である。
心を落ち着け、雑念や妄想が浮かんでこないよう常に気をつけながら、心を過度に消費させることなく実在意識の層を静めることが出来れば、心の量は自然と本来持っている質量に戻っていく。そうすると心は、もともと備わっていたその人本来の心の状態に戻るので、ストレスなどを感じることなく穏やかに日々を過ごすことが出来る。それがつまりは心の浄化であり、心が進化する第一歩なんだと思う。瞑想の初心者が超えなければならない最初の壁でもある。
            ............ 【ちゃお】小西誠さんの連載「チェンマイ瞑想修行記」より ............


それからしばらくこの言葉を自分に染み込ませてたが、今度は感情の振幅についてわかんなくなった。
心は動かないのがいいの? 
バリ島ウブドでメディテーションクラスを受けた時の先生「感情の振幅は小さいほどよい。なぜならとっーーーーても嬉しいと感じる心は、同じ量の悲しみを感じることになるから」

沖縄でアンドレのリトリートのときも言ってた。「何かをとっーーーーても楽しみにしたり大事にすることは、それを失った時に同量の辛さを味わうことになるから、心の振幅は小さくね」

先日読んだ本でもう少し、しっくりした。

.......引用...........................
「真剣」に生きてないけど漠然と「深刻」だった。人間ってのは「深刻」には簡単になれるけど、「真剣」にはなかなかなれない。「真剣」という対象が合って、そこに全力投球すること。「真剣」に取り組む的がないから人は深刻になる。  ・・・・(中略)・・・・・・・  深刻でピリピリする自分がイヤだった。人の言うこととか世の中の出来事にいちいち過剰に反応してた。「反応する」というかイライラしてた。
そのときに、ものごとにイライラしたりうろたえたししない自分になりたいと切実に思った。うろたえないっていうのは「感じない」ことではなくて、「動かない」っていうのか。「不動心」ともいうけど、何かが起こったときに自分って言う人間がいつも同じでいられたら理想だな、と。
いつも水のようにさらさらと、容器は変わっても中身は変わらない自分に。   
           .............MAYA MAXX 「死ぬまでにしたい10のこと」 より ............


なるほどね。
そう言えば、高野山でのTTでジェレミーが一所懸命説明してたっけ。花瓶とか豚の貯金箱、例にして。

染みるのに時間かかりますねぇ。先生や先人たちはいつも同じことを同じように言ってるのだろうに。受け手次第。自分次第。

あ~、ありがたや。感謝感謝。。。。。
by m_akotako | 2009-07-07 16:56 | yoga